結局、感覚や記憶も当てにならない、残すは文字や言葉しかない

ほとんど毎日夢を見る者としては、父親の夢などかなり珍しいと思っていた。しかし、ブログを読み返しただけで月1くらいは父親の夢を見ているのだと思った。父親が生きている頃はこんなに父親の夢を見てはいなかったと思う。とはいえ、印象的だからブログに書いているだけであって、夢はほとんど毎日見るし、1日に3,4つ見ることもざらなので割合として多いのかどうかは全くもってわからない。

その辺を後からちゃんと客観的に見るには、結局文字や言葉で記録するしかない。そうさ、ブログを書きたいだけなんだ。