メールに句読点をつけない理由

僕の書く文は詩的なのだろうなぁ。または、現実を見ていないような。ただのロマンチストなのか。本来というか、基本的に僕は文章に句読点は付けません。それがメールであれなんであれ人に読まれるためのものであってもです。まぁ、正式書類とかなんかは別ですが。それって何でかなぁ?と考えているわけです。ただめんどくさいのか?読みやすさを追求するなら句読点を必要と思います。時々メールなんかでも読みにくいよって指摘されます。そういわれても、付けたくないんですよ。何でかってところに戻るんですが、僕の口癖などと合わせて考えるとそれらしい答えが導かれました。僕の口癖的なものは「でも」「しかし」「だって」などの否定的接続詞、そして「〜なんだけど」とかの文の終わり方。多分何事も終わってほしくないんだろうなと思います。句読点ってのは、文の区切り、終わりを示すものでしょう。だから付けたくないんだろうっなって。このブログでも、句読点を使わずに文を書いてきたわけですけど。今回は実験。というか文章の1行1行の隙間が気に食わないので泣く泣く句読点を使ってみたわけですが如何ですか?
僕的には微妙です…。


ついに部屋の片付け終了。どれだけ時間がかかったのだろう。でも、まぁ気持ちいいものです。これで僕のいろいろな物事のやる気やら効率が上がるのではないかと淡い期待を抱いています。だめな理由を部屋の汚さの所為にしてちゃいけないよなぁ。でも、僕の再スタートは明後日からと決めております。応援してくださいね。でも僕は応援されてもがんばりませんけど…。だからといって叩く方法で気持ちを鼓舞しても僕は何もしません。ある意味では究極のマイペースを維持しています。