新・文化産業論

新・文化産業論 (PHP文庫)

新・文化産業論 (PHP文庫)

音楽とか文学とか芸術的な文化を商売的に解説しているような本かと思って読み始めました。自分がこれからやる仕事がそういうことに関係してくると思ったからです。でも、読んでみると内容は予想と違いました。ある意味、芸術だけに限定されない文化と産業の関係についての話だったので、勉強になったと思います。
文化産業というのは、芸術というよりその国や地域の伝統や生活様式などを産業に結び付けていくもの。例をあげると自動車でのしあがったドイツは、自動車の生産の目標として、アウトバーン(高速道路)の計画があったので高速に走れること、値段がサラリーマンの年収より安いこと、同じく収入を考えた上で低燃費であることなどがあった。それがイギリスに入ると紳士が山高帽をかぶっているので天井の高いつくり、日本では道のせまさなどもあるので、軽自動車の生産が盛んになったことがあげられる。
性能のより良いものを開発していくだけはなく、それを使う・ほしくなる環境や文化を浸透させていかないといけない。ひげそりでもクリームを塗る文化などなかった日本にはそういう習慣から輸入していかなけらばならない。日本人にも誇れる文化も多くあるので、そこから輸出していくこと。そうすれば産業として自然に大きくなっていく。今までの日本での良い例はカメラ。日本では四季がはっきりしていて、俳句などの文化も進んでいたので、きれいに写真として残す気持ちや考えが多かった。そのために会社側が綺麗に写真がとれるように解像度をあげたり、ストロボをつけたりと性能を上げていき、それを安価でつくれるようにもしていった。それが世界にも認められていったわけだ。
それよりも感心というかショックをうけたことは、統計的資料もあまり当てにならないということ。電話の普及率は日本がトップだが、それは日本は電話で仕事をするということがある。イギリスなどでは電話では証拠が残らず、手紙などの文書でちゃんと仕事の契約をうけるので、電話がそこまで普及する必要性がないということらしい。これも電話の必要な文化ではないということ。ほかには、東京は公園などが少ないと海外のほかの都市とくらべられるが、東京での数字は本物の公園だけで、神社などの自然の部分は含まれていないらしい。同じように都市に対する道路の量も、海外では細かい道路まで含めているが、東京は主要道路だけらしい。東京でも末端までいれると同じくらいの数字になるらしい。つまり、単純に数字だけでくらべても意味がないことも多いらしい。それでも、普及率なんていうと多いほうがいいと思ってしまうのが、欧米の真似だけして性能の向上的なことばかりを目標にしてきた結果なんだとか。