半島を出よ

半島を出よ (上)

半島を出よ (上)

半島を出よ (下)

半島を出よ (下)

村上龍です。けっこうこの人の作品は好きで、この作品は発売のときからリアルタイムで気になっていたのですが、さすがに新品で買うほどではないかなぁと思っていました。上下巻で4千円弱だし、それなら中古で40冊近く本が買えるしというわけでね。しかし、読んでみるとかなりおもしろかった。「愛と幻想のファシズム」を思い出してテンションがあがった。
北朝鮮の特殊作戦部隊が、福岡を占拠して反乱軍を名乗る。これは北朝鮮の作戦で反乱軍と言うのは名目で、本当は軍事的な作戦。経済的に傾いている日本を攻撃しても、他の国はあまり手を貸さないので、そのまま日本を奪い取ることと、ここに送る部隊は反乱的な分子なので、ここで敵地に送り込んで手を切ることもできるから。まずは9人の兵士で福岡ドームを占拠して、その後、500人の部隊を送り、最終的に12万人の部隊を送って、九州を占拠し、日本からの独立をする。作戦名は「半島を出よ」
この最初の9人の占拠に対して、日本政府は何もできなかった。九州の交通網を封鎖することしかできなかった。テロとして攻撃するとか、九州の独立を認めるとか、どんな決断もできなかった。本土に攻撃をしかけられたことのない日本はどうしたらいいのか分からなかったのだ。これは皮肉としかいえない。何かを守るためには何かを捨てるという決断ができなかったのだ。最初の9人の兵士にたいして、福岡ドームの観客を犠牲にしてでも止めるという決断ができなかったことが、どんどん北朝鮮兵士を有利な状況にしていく。そして、後には九州の人すべてが人質でもっと身動きがとれなくなってくる。
北朝鮮兵士は、軍事訓練は当然として、日本語、日本の習慣、経済、医学、建築学などいろいろ勉強している。だから、どういうやり方が占拠を有利にすすめるか分かっていた。何よりも暴力というのは効果があった。犯罪人たちを逮捕し、拷問して財産を没収して、資金とした。
日本は経済的に傾いていて、失業者も多く、ホームレスが急増していた。そのホームレスの1グループは特に危険だった。何もやる気がないが、凶悪犯罪を犯した者たちが未来への希望もなく、ただなんとなく一緒に暮らしていた。特に人に干渉することを嫌がる人たちなので居心地がよく、いつのまにか同じような人間が集まってしまったのだ。その数は、20人。テロのことばかり考えている人間。爆弾作りのエキスパート。情報工学の専門家。ブーメランの名手。毒カエルや毒虫の飼育家、戦闘服や銃のマニア、怪しい宗教の信者などなど。でも、今はおとなしく暮らしている。
日本政府から切り離された九州の人間たちは、日本政府のやり方に反感を持ち、北朝鮮側をいろいろと助けるようになる。それは12万の兵士が来たときの自分の保身を考えてのこともあった。最初は、さっきのホームレスの1グループもそれを喜んでいたのだが、だんだんおかしいことに気づく。そして、自分たちで北朝鮮の部隊を攻撃しようと考える。大阪の特殊作戦チームも全滅させられたような相手にだ。
作戦としては、北朝鮮チームの本拠地のシーホークホテルを爆弾で倒れさせて、その衝撃や風圧で全滅させる。そのために、爆弾を設置するために、ホテルに潜入する。地元の暴走族の力をかりて、北朝鮮兵士になりたいといいながらホテルに近づき、死角から潜入する。爆弾をしかける階に、毒虫をばらまいて兵士をその階からいなくさせる。そして、工事を始める。武器マニアの武器を携行し、対人地雷もしかける。爆弾がもうすぐ設置し終わるというところで、敵の兵士に情報をリークした一般人がいたので、その階に兵士が乗り込んでくる。待ち伏せ作戦をして、犠牲を出しながらも、兵士20人を全滅させる。そして、残った仲間で爆弾の設置を完了させる。テロのことばかり考えていた奴が、追っ手を食い止めてここで自爆的に爆発させることを約束して、他の仲間を逃がす。逃げる途中でも兵士に何人か撃たれて死んでいく。最後に残ったのはたった3人だった。
ビルの破壊は成功した。500人が飛んでくるコンクリートの塊で死んだ。何人か生き残ったのだけど、一般兵士は自決した。最初の9人に含まれていた1人の兵士は、自首した。もう1人は隠れて生き延び、いつか北朝鮮に帰りたいという。北朝鮮での戦いばかりの日々で忘れていたものを、九州の人間と触れ合うことで取り戻したようだ。
ビルの破壊をした人間たちは最後まで誰か発表されなかった。身元の分からない遺体がそうだと思われたのだが、しかし、そいつらには住民コードがなく、存在していないことになった。生き残った3人は今も普通に暮らしている。しかし、昔のことは語らない。

僕の好きなタイプの話が何種類かあるが、これはその1つだと思う。久しぶりにひきこまれて焦るような気分になった。自分がテロとか革命をしたいのかなと思ってしまう。こういうエキスパート的な集団にあこがれる。人として何か間違っているような壊れた人間たちが好きとも思う。現代の鬱とかそういう部分を、他の開放の仕方をしている。
何かを守るためには何かを捨てなければいけない、こういう決断ができるようにならないといけない。