タイムスクープハンター シーズン4・第2回「江戸おなら代理人」

江戸時代の消防、町火消しの組の名前はいろは順につけられていたが、へ組は存在しなかった。へはおならを連想しかっこわるいからだという。江戸の人々はそれほどおならを恥じていた。そのために江戸には驚きの職業が存在した。屁負比丘尼(へおいびくに)という職業だ。今回はその職業を追う。


西暦1734年(享保19年)2月26日、江戸の町を尼装束の女性が歩いている。服装は尼だが本来の僧とは全く異なる仕事をしている。屁負比丘尼だ。訪れた先は依頼主の海産物商家。比丘尼の名前は妙晴といいこの道10年ベテランである。依頼主は大抵娘を持つ親。今回も1人娘のために依頼があったが、事件以来娘としは部屋にとじこもっているらしい。
娘の事件というのは、縁談の見合いの場でおならをしてしまったことだった。当時のお見合いは茶屋などで偶然を装ったふりをして行われていた。としは初めてのお見合いで緊張しておならをしてしまった。としが知らないふりをしたり、親がごまかせばよかったのだが、それもできず不躾としてとしは逃げ帰ってしまった。それ以来としはひきこもってしまったらしい。
屁負比丘尼の仕事内容は、良家の娘に付き添い放屁などの過失があった場合、身代わりとなるというものだ。両親は最後の手段として妙晴に依頼したのだった。としは部屋の奥で書物を読んでいた。妙晴は読んでいる書物を確認した。それは往来(おうらい)というもので、手紙の文例・道徳や礼儀作法を書いた教科書習字の手本だった。妙晴は自分の仕事をとしに説明し、外にでない限り仕事はできないので今回は挨拶だけとなった。
2日後に妙晴はとしに呼ばれた。としは何冊も往来を読んで、女消息文(おんなしょうそくぶん、女性が書く手紙の文章)を美しく書きたいと思い、手習いの塾に行くことにした。おならがでやすいのは過敏性腸症候群も考えられるが、当時の江戸の食べ物は豆や麦やいもなどでラフィノースというビフィズス菌を増殖させる効果があり、腸を活性化させることも原因にあげられた。手習いの塾では緊張感がとても高かった。厳しい指導でさらに緊張感も増す。しかし、妙晴の付き添いのおかげか粗相をすることもなった。
指南の終わりに近づき予想外の出来事が起こった。師範が鼻をかんだあと、鼻に紙がついてしまい、それを知らずに真面目に話すさまがおかしかったのだ。としは我慢していたが笑いがとまらず、緊張がゆるみとしはおならをしてしまった。屁負比丘尼は自分がおならをしてしまったと必死に謝った。比丘尼はそして師範の鼻についている紙を指摘し、わざと笑わせたのでございましょうとその場を和ませた。
帰り道のとしは、久しぶりに外にでたこともあり気が晴れやかになっていた。真実屁負比丘尼がおならをしていると思った人がどれだけいたかはわからないが、それは突き止めないのが暗黙の了解であった。屁負比丘尼は江戸の人の暗黙の了解や情けを前提としている。としは別のお弟子さんから梅の木がキレイに咲いている情報を得て、梅鑑賞をしていくことにした。
しかし、道がぬかるんでいて下駄に泥がついてしまった。泥をぬぐおうと橋の欄干に下駄をおいたところ、下駄が下に落ちてしまい運悪く質の悪い男にあたってしまった。妙晴が自分が落としたと必死に謝るが、慰謝料を払えと言いがかりをつけてきた。こんな時にとしはまた緊張でおならをしてしまった。妙晴はまたしても身代わりになった。比丘尼を侮辱するような言葉で妙晴が怒り言い返したことにより、男どもは逆上して乱暴をしてきた。逃げ出したとしと妙晴は近くの納屋に隠れた。
納屋を捜索されて、追手に見つかってしまうかというときに、現れたのは3ヶ月前に見合いをした蔵之介であった。ちょうど茶屋からでてきたところ、としを見かけたのだという。見合いの席のことのお詫びをしないといけないと謝るとしだった。屁について蔵之介は気にしておらず、あれ以来恥じらいを見せ顔を赤らめていたお年を蔵之介は気に入っていたらしく、その場でプロポーズをした。男どもに追われていることがわかったので、蔵之介は自分の船でとしと妙晴を逃してくれた。としの瞳には桟橋の蔵之介がいつまでも写っていた。
家に帰った時にはすでに夜だった。心配した両親が取り乱していたが、妙晴が道を間違えたなどいいかばった。両親は妙晴の解雇を言い渡すが、としは自分の不始末は自分で負わねばならないと妙晴の解雇をするのであればまた部屋に閉じこもると、自立の姿勢を見せた。両親も許し妙晴も呼び酒席となった。2人の長い一日は終わった。
2ヵ月後、としと蔵之介の結婚式が行われた。としはすっかり自信を取り戻していた。としが女消息文を書こうとしていたのは蔵之助のお詫びの手紙をかくためでもあったとわかった。その後、2人の間には子供が生まれ妙晴はその子の守役として養育にあたった。17年後にとしの娘のお見合いに付き添ったのが妙晴の最後の仕事となった。