タイムスクープハンター シーズン4 第8話「特命記者 美人を探せ!」

明治時代のポートレート写真に浮かび上がる美人の女性たち。流行のファッションに洗練されたメイク。日本初の写真による一般女性対象の美人コンテスト。その時代に生きた女性たちを取材するためにタイムワープした。


1907年(明治40年)10月8日、埼玉。地方新聞社の武蔵野時報の社内で写真による一般女性の美人コンテストの募集記事を書いている男性がいた。記録によるとアメリカのシコゴトリビューンが世界美人コンテストを企画。それを受け日本でも地方新聞社22社が協力し日本代表の公募をした。今回の取材は美人を探している記者だ。
募集の記事から1ヵ月が過ぎたが武蔵野時報の記者青山一郎の元には1通も応募がきていなかった。進展しない状況に苛立ち編集長に呼び出された。まだ1通も集まっていないと報告すると、美人係に任命され県内から探してくるように命じられた。経営者である編集長としてはこの町から美人が選ばれることにより、町が活気付き新聞の購読数も伸びると思っていた。しかし、この時代控えめであることが美徳されているので、自ら応募してくる女性は少なかった。
そこに青山に頼まれていた知り合いが写真を持ってやってきた。素直で明るくて体の丈夫ないい子だと説明する。しかし、美人とは言い難く人柄などはまったく関係ない。今回の美人コンテストの正式名称は「日本一美人写真競争」であって、写真だけで審査を行い日本一を決めるものだった。どこの地方新聞社も応募が集まらないことに困っていて、自分たちで美人を探し出していた。青山記者も同様で幼馴染の女性に直談判に伺った。1等は300円のダイヤモンドの指輪だった。しかし、結婚がようやく決まったのでこの話が先方に知れるとうまくいかなくなってしまうと断られてしまった。幼馴染は代わりに隣町の小林写真館で女性を美人に撮ってくれると評判なので行ってみればと言われた。
さっそく小林写真館を訪れた。スタジオでは女性たちの撮影の真っ最中だった。それまでも写真による美人コンテストは行われていたが、芸者など一般人が対象ではなかった。それが一層応募者を集める難しさになっていた。先ほど写真を撮られていた女性たちに期待がもたれたが、どの人も商売女で玄人だった。写真に使用用途は遊郭の店の前に写真を貼り客引きをするためだった。袴の格好は女学生を連想させ、とてもはやっているらしかった。当時女学校に通うのはステータスだった。庶民の憧れでもあった。
他の当てを探すために今までとった写真をいろいろと見せてもらったが、玄人であったり遠方に住んでいたりとなかなか条件に合う子がいなかった。写真館の主人のつてで美人を紹介してもらうことになった。このことを編集長にも報告した。写真は完成までに丸2日かかるというと、2日後の夜に時事新報の社員と飯を食べる約束があるので写真を手土産に持って行きたいということだった
次の日、写真館に現れたのは女学校に通う女性だった。写真館の主人の化粧により見目麗しく変身した。これなら予選通過は間違いなしと青山が確信し、美人コンテストの応募を伝えると手違いで女学生には話が通っていないことがわかった。はしたないし、学校に知れては困るとここまできて断られてしまった。
このまま無理強いをするわけにもいかなくなってしまった。そこで別の方法を考え、前に応募してきた写真を写真館の主人に見せた。これは主人の撮った写真で原版があるので、写真を加工して作り直そうと提案してきた。修正は種板を使い、黒くしたいところを削り、鉛筆で色を塗ったりする。まずは細面にする。何度も印画紙に焼きなおし、種板を修正していく。こうした写真修正は頻繁に行われており、遊郭では写真と本人がああまりに違うと客からクレームがでることもあった。主人の渾身の作品として別人のようにできあがった。あとは印画紙を乾かすために一晩待たないといけない。
翌日予定より早く青山は写真館を訪れた。しかし、暗室に入ってみると写真がなかった。乾かしていた写真は落ちてゴミとして処分されてしまった可能性があった。写真を探している時に編集長が来てしまった。妻に写真をことを聞くとすでにゴミを燃やしていた。なんとか焼却炉から写真を拾い上げる。修正後の写真は無事だった。編集長に見せに戻ったが、あまり良い反応は得られなかった。そこに編集長の知り合いの遊郭の女将が現れた。編集長に美人かどうか問われるとなかなかの美人と答えた。しかし、住所をつげたことにより女将に修正したことがバレてしまった。隠すことができなくなり元の写真を見せると、こちらのほうが美人だと編集長は満足した。愛嬌もあり味もあるので分かる奴にしかわからんが、おれが本当の美人だと言って、写真を持って出掛けてしまった。美人の価値観は人それぞれだと思い知らされた取材だった。
青山は写真館の主人の紹介してくれた別の美人にお願いに行くつもりらしい。結局コンテストの写真の応募総数は7000人に及んだ。今回のコンテストをきっかけに多くの女性が新しい自分を探すために踏み出したかもしれない。その後の取材によると編集長は新聞社の役員と美人の価値観の違いでけんかになり、自らコンテストへの参加はとりさげることになった。