NHKスペシャル「完全解凍!アイスマン〜5000年前の男は語る〜」

ずばんといきなり茶色いミイラがでてきたが、けっこうこわい。胃を開いて塊を取り出し、頭からも謎の物体がでてきた。
ナビゲーターは阿部寛がつとめる。アルプスで5千年前のアイスマンことミイラが見つかった。なぜそんなところで見つかったのかは、脳から内容物でわかった。胃の内容物からおいしい食事をとっていたことが分かった。体には十字や幾本かの線などの模様が見つかった。アイスマンが見つかった5千年前はようやくメソポタミアなどの文明が始まったころで、他の地域では文明らしいものなどないはずだった、アイスマンによりその常識が覆されようとしている。


イタリアとオーストリアの国境のエッツタール・アルプス。例年より暑い1991年にドイツ人夫婦が登山を楽しんでいた。通常の登山ルートからはずれた場所で茶色い塊を発見した。氷が解けた部分から茶褐色の遺体がでてきた。救助隊や法医学者がかけつけて運び出した。遺体は左手を折り曲げた奇妙な形でミイラ化していた。近くから見慣れない木のカケラなどがでてきた。念のために考古学者に見てもらうと、はるか古代の人間、先史時代の人間とわかった。近くからでてきたものから青銅器時代の初期のものとわかった。このミイラ、アイスマン発見は世界的なニュースとなった。炭素測定にかけると5300年前の人間と判明した。
それから20年の間、このアイスマンは痛まないように特別な冷凍庫で冷凍保存されてきた。マイナス6度、湿度99%で保存され、2ヶ月ごとに水を吹きかけ乾燥しないように手入れがされてきた。完全解凍の試みはあったが、技術的な問題でできなかった。凍ったままではできることに限界があった。最新の医療技術を用いて解凍に挑むことになった。凍っていると表面しかわからず、脳や内臓などの大事な部分は解凍しないとわからないのだ。
凍った状態で分かったことは、46歳前後の男性、身長160センチであることくらいだった。5300年というのはメソポタミア文明が栄えはじめたころで、他の4大文明は始まっていない。日本は縄文時代だった。
時代以外にもこのアイスマンには重要なことがある。エジプトのミイラは内臓を抜いて防腐処置を施してある人工のものだが、このアイスマンは自然のミイラなので内臓もすべて残っている。そこから古代でわからなかったいろいろな新しいことがわかる可能性があった。
アイスマンを完全解凍する日となった。氷点下6度の場所は18度まであげられた。解凍した状態で長い間おくと細菌におかされるので、解凍時間は9時間とされた。24人の専門家のチームで作業は行われる。まずは胃の内容物をとりだし、5300年の食生活を探る。傷めないためにも内視鏡カメラで胃の中を見ようとしたが、食道の組織が詰まっていて先にすすむことができなかった。腹部を少し切り開いて見ることになった。満腹のようで200グラムもの塊がでてきた。続いて、頭蓋骨に5ミリの穴を開け脳組織を取り出した。皮膚、肺、腸などいたるところからもサンプルをとった。貴重なサンプルは149点にもなった。それらは各地に送られ研究がつづけられている。
アイスマンは4大文明から離れたアルプスで見つかった。こういう場所では文明からかけ離れた生活を送っていると想像されていた。しかし、胃の内容物からそれを覆す結果が示された。アイスマンが死の直前に食べたものは200グラムもあった。そのサンプルは、白くて明るくて弾力性があった。電子顕微鏡で調べると動物性脂肪だった。他にも動物の毛もあった。アイベックスというヤギが多く、他にもシカやウサギが見つかった。植物も食べられていてハーブも食べられていた。空腹を満たすだけではなく味や香りも気にしていた可能性がでてきた。アイスマンは多様な食材をおいしく食べようとしていたことがわかった。水を使って加工された痕跡のある小麦もでてきた。アイスマンの腸からは煤の粒子も発見されたので、小麦を焼いたパンを食べていたことがわかった。パンの起源は1万年前のメソポタミアといわれている。エジプトでは8000年前とされている。パンは当時は給料としても使われていた大事なものだった。これら文明のような先進地域以外でもパンが食べられていたことは大事なことだった。アルプスは狩猟生活だと思っていたが、今回のことによりアルプスでは農耕がおこなわれていたことがわかった。
アイスマンは靴も履いていた。底は丈夫な熊の皮で中には干し草を詰めて温かくしてアルプスでも耐えられるようになっていた。マントはシカの皮で暗い色と明るい色が交互にならべられていておしゃれだった。武器の斧は銅が99%で精錬技術があったことがわかった。これにより銅の精錬技術が今わかっていたものよりも1000年さかのぼることになった。
続いて解凍した皮膚の研究。背骨の左側には平行線、右膝には十字、くるぶしなどにも謎の模様があった。模様のサンプルをとると、それは煤だった。この模様は煤でのタトゥーだと分かった。これらの部分は普段服で隠れてしまう部分にあり、描いた理由まではわからなかった。タトゥーの位置を詳しく調べると、現代の鍼灸医療の位置と重なっていることがわかった。左くるぶしの十字は崑崙というツボと重なった。背中の平行線も崑崙も腰の痛みに効くツボだった。タトゥーはツボを刺激するためにつけられた印という可能性がでてきた。エックス線で腰を見ると腰椎すべり症の症状が見られが、腰を痛めていてそれに効くツボがタトゥーして描かれていたことが分かった。。ツボについては中国でまとめられたとされている。中国の3000年前にすでにヨーロッパに高度な医療があった可能性が高い。
続いては脳と腸を調べることで、アイスマンがなぜこの場所で死んでいたのかが分かった。発見当時は雪山での遭難の可能性が高く凍死と思われていた。サンプルである腸を調べると直径100マイクロメートルの植物の花粉がでてきた。他にもアイスマンの体内からはいくつもの花粉が発見された。人は花粉を体にとりこんで、時間と共に排泄される。腸の部分からでてくる花粉から推測すると、死の50時間前にはモミのある山にいて、死の12時間前には下山して山のふもとにいて、また山をぬけトウヒの林をぬけ、また5〜2時間前にもモミの場所にいて、山頂で死んでいた。
高齢であるアイスマンが高低差のある山中をなぜ歩いていたのか。アイスマンは何かから逃げていたのではないかと推測される。その説は胸部のエックス線写真から左肩の辺りに2センチくらいの異物があったからだった。異物の正体は矢の先端部である矢じりだった。矢じりが大動脈を傷つけかなりの出血をし、瀕死の状態だった。アイスマンは後ろから矢で射られたことがわかった。アイスマンは5000年前の殺人事件の被害者の可能性がでてきた。それを補強するのが脳のサンプルだった。顕微鏡で調べると丸い小さな円盤状のものがたくさんうつっていた。これは赤血球だった。普通は血液は消え去るがアイスマンが冷凍されていたので血液が残っていた。後頭部をCTスキャンすると後頭部にたくさんの血がたまっていたことがわかった。即死につながるくらいの大出血だった。右目の上に亀裂がありこれは殴られた後だった。矢で射られ、石で頭を殴られたと思われる。見つかった姿勢も奇妙な姿勢も、側頭部を石でなぐられ仰向けで倒れ、それを裏返すと左手が下になり、そしてそれから矢を抜いたのだと考えられた。
古代の斧や矢を復元して死の原因を調べた人もいる。矢を持ち去ったのは、矢が名刺代わりになり、矢じりの形によって犯人が分かってしまうから持ち去ったと主張した。殺人事件を犯し、証拠隠滅までしていた。現代の人間のような複雑な人間関係まであったのかもしれない。
アイスマンから149のサンプルがとられた後は、またマイナス6度に戻された。胃の内容物の半分も元に戻された。それは未来で技術が進んだ時に、さらに多くのことがわかる可能性があるからだった。


正直なところアイスマンの解凍と聞き、UMAであるミネソタアイスマンのことかかなり期待しました。ところがUMAじゃないようです。ミネソタアイスマンはミイラって感じじゃないものな。しかし、それでもかなり興味の湧く内容だった。
5000年もの昔、4大文明もなかったころで、生きるために精一杯かと思っていたら、食生活にハーブもあるし、マントもシカ皮で色味も考えたオシャレなものだし、鍼灸についてもわかっていた医療もあったようだし、なかなかすごいと思った。昔というものをバカにしすぎていた。現代は住む場所なども考えられているが、やっぱり進化した部分なんてほんの少しかもしれない。
それよりも驚いたことは、このアイスマンが殺人事件の被害者であるということだった。怒りという感情はきっと昔からあると思うが、証拠隠滅をして他の人にわからないようにするというのが驚いた。殺人は差別されるのは昔からあって、そこから逃れるために証拠隠滅まで考えたとは。殺人事件が起こるほどの複雑な感情や人間関係もあるのか。人間ってのは根本的な食生活などが満たされて、余裕がでてくるとどうしても殺人とかそうなってしまうのかな。