7年前の記事を引用されて、読み返して思ったこと

gmailに来ていたメールを整頓していました。いくつかのフィルタリングもしてあります。ネットゲームとか仕事関連とか、その他もろもろ。でも、今は仕事も変わり、ネットゲームもサービス終了してしまい、あまりフィルタリングが意味をなしていません。別にそのまま残してても何ら問題はないのだけど、場合によっては削除してもいいかなと中身のメールを確認していました。

その中でもはてなはブログにコメント来た時などのためにフィルタリングしてあります。そこを見ると1ヶ月前に僕のブログの記事を引用してくれているらしいことがわかりました。あれ?その時メール来たかな…。いや、フィルタリングで通知はオフにしているのだったか。

その引用してくれた記事を見に行くと、プログラマ講師の方がサーバ設定か何かの記事をキレイに書いていました。講師だけあって段落構成なども読みやすかったです。ちゃんとして技術系記事で、そこに僕のcentos6でのポート開放の記事が引用されていました。その記事はなんと7年前の記事。

さて、じゃぁその自分の記事がどんな記事だったかも見に行くと、それはまぁちゃんと書いている。そういう仕事をしていた時期でもあったし、自分でも何かやろうとしてがんばっていたんですね。段落構成とかは下手なんですが、オリジナル性は高くて、参考になる記事として質は中々高そうでございます。

それから7年…仕事は変わったにしても、一体何をしていたのだろうか…。この7年で何か良くなったことはあっただろうか…。何度かやる気をだしては挫折し、やる気をだしては挫折しの繰り返し。全然状況は良くなっていません。むしろ悪くなっていく一方。状況が変わらないとしても確実に年はとっているわけで、いろんな選択肢が少なくなっているはずです。それは選べる職種にも関連するし、自分で何かやるにしても体力は分かりやすく落ちているから長時間のがんばりも効かないし、なんだかんだで頭も昔よりは働かなくなっているから覚えも理解力も悪い感じがするし。

とはいえ、そんな泣き言ばかり言っていてもどうにもならないし。明日を変えるなら今日を変えなきゃ、なのです。がんばるというふんわりした感じじゃなくて、どんな小さなことでもいいから、具体的なやるということが大事なのだと思います。そのために今回の7年前の記事を読み返す前に、何かをやるために自分なりに決めごとを設けたりしていたのです。これも何かの兆候だったのだなぁ。

というわけで、今から少しでも部屋の掃除するか。まず部屋がキレイになること、何かもクリアになって、頭の中もクリアになって、何をやるにしても探さなくていいし、うまくいき始めるのだと思います。今日できなくても、じゃぁすぐに明日とりかかる。毎日できなくても、めげずに次の日にすぐに始める。でも、掃除が1番苦手なんですよね。んあー、やるか。