ETV特集 「見狼記 〜神獣 ニホンオオカミ〜」

今の日本にも狼信仰が生きている。100年以上前に絶滅したニホンオオカミ。しかし、この獣が実はまだ生きていて不思議な力を放っている。まだ目撃談はいくつも存在する。そういう情報をたどって伝説の獣ニホンオオカミを見ようとして人々の物語。
1996年10月、埼玉県秩父市浦山の林道でニホンオオカミが崖をのぼり、道で佇んで車を方を見てきたという。それは八木博により写真にも撮影された。体長は1メートルあまり。精悍な顔つき、ツヤツヤとした毛並み、1分近く立ち止まっていた。ただの犬とは見間違えるはずもない。
ニホンオオカミは体長1メートルあまりで世界最小のオオカミ。大陸オオカミの亜種とも日本固有の種ともいわれている。明治38年最後の1頭が死に、絶滅したと伝えられている。
秩父市の目撃は全国紙のトップを飾ったが、専門家は冷淡な反応を示している。犬とオオカミを見た目で見分けるのは至難の業だという。ニホンオオカミの頭蓋骨には、オオカミ特有のへこみがある。しかし、秩父で撮られた写真では判別できず犬ではないかと言われている。唯一この写真を評価した動物分類学者は、尾の形態と動きで判別するのが良いとしている。
あの写真から15年たっても八木は秩父の山中を歩いてニホンオオカミを探している。オオカミを探すためにこの山域に赤外線カメラを仕掛けた。赤外線カメラは動くものが現れた時だけ作動する。他の目撃証言も奥秩父に集中している。横からも牙が見えて犬とは全然ちがったという。一緒にいた仲間ともオオカミだよなと確認しあったという。奥多摩の渓谷でも目撃された。オオカミの長い遠吠えが聞こえ、がさごそとでてきた動物は犬とは違った。
山々にはかつて多くのニホンオオカミが生息していた。畑を荒らす鹿や猪を食べるニホンオオカミは信仰の対象だった。秩父には三峯神社を筆頭にオオカミを祀る神社が21社ある。釜山神社もその1つで、毎年春に人々にオオカミの御札を配る。オオカミは神様そのものではなく、神様の使いでご眷属とよばれる。釜山神社では月に1度お炊き上げというオオカミにご飯を供える神事が行われる。お米の量は一升で中身のお米に少しでも人の手が触れるとオオカミは食べない。毎月17日ご飯を入れたお櫃を背負い山頂の奥の院の少し下がった谷間に備える。備える姿は誰にも見られてはいけなくて、300年間代々の宮司だけが秘密の谷間にはいり祝詞をあげている。祝詞をあげおわるとお櫃を備え、1ヶ月前にお供えしたお櫃を持ち帰る。お櫃の中を確認すると米1粒も残っていない。お櫃のふちにはオオカミの歯型がついていて、3部3厘というちょうど1センチくらいさがったところにふちに沿うようにあとがついている。不思議なことである。
先祖から伝わったものの中にオオカミの絵姿が残っている。釜山神社の守り本尊、大口真神(おおぐちまがみ)、平たくいえばお犬様、わかりやすくいうとニホンオオカミの原型。明治初期に先祖が書いたもの。名前だけでは分からない大口真神を後の人にも分かるように記されたもの。神獣ニホンオオカミは人には見えない力を持つと言う。
秩父地方をみなもととしてオオカミ信仰は各地に広がっている。埼玉県鶴ヶ島市上新田地区の16軒はオオカミ講を組んでいる。毎月回り持ちで祠にお炊き上げを行なっている。オオカミの目撃談も聞いている。ちょうど19日のお炊き上げの神事の時に、お姿を拝ませてもらいたいと願って顔をあげたときにその場にオオカミがいたらしい。お炊き上げを家の主が人目に触れない深夜に行う。ワラを編んだ中心にお米を乗せて捧げる。もうお炊き上げは時代に合わないのでやめようという話もでているが、その後がこわくてやめることができない。お炊き上げでお米がたくさんとれますようになどの願いを言おうとしても、言葉が浮かんでこなくなるらしい。これもオオカミの見えない力といわれる。
八木は会社経営をやめてから、趣味でニホンオオカミを探している。八木は19歳の時にオオカミの見えない力を体験したという。苗場の山小屋で米を背負って歩いていると、オオカミらしき獣の遠吠えが響いてきて逃げ帰ったという。逃げ帰ったせいで乗り遅れたバスは転落事故にあったという。オオカミの遠吠えで助かったのだという。そして46歳の時に秩父であの獣に遭遇し写真をとった。山に設置したカメラの映像を確認すると、サル、イノシシ、キツネ、タヌキ、シカ、アナグマ、テン、カモシカ、クマなど日本で生息する大型哺乳類がほとんどうつっていたが、オオカミだけがうつっていない。八木はカメラ以外にも山々の家を訪ねオオカミの痕跡を探している。ニホンオオカミを捕獲したという話もあった。火縄銃で撃ったが1週間も木に吊るしても死ななかったという。オオカミのたたりというものあって、数十年にわたり病人が始終でたので、沈めるために大口真神という碑を建てたという。牙が伝わっているという家もあったが、家を片付ける騒ぎなどでどこに行ってしまったかわからないという。骨や牙などオオカミの一部をあがめる風習が残っている地域もある。安政2年(1855年)と書かれているりっぱな木の箱にはオオカミの頭骨が納められていた。1855年というとぺりーや坂本龍馬と同じ時代である。箱には3つの穴が開いていて、これはオオカミの息穴とよばれている。別の箱の蓋にも3つの穴が開いていた。箱のなかでオオカミが息をしていると考えられていた。
オオカミの頭骨信仰は三峰山を中心とした修験山伏の活動範囲と重なる。皮や肉が残ってミイラ化している頭骨もあった。四国では見つかった最大の頭骨は人の墓を荒らしにきたところを撃ち殺し、その後魔除けとして使った。昭和40年代まで求めに応じて頭骨を貸している家もあった。一部骨が削り取られているのは、粉にして薬として飲んだらしい。こうしたオオカミ信仰は幕末に急速に広がった。半年でご眷属の札が1万もでたこともあった。コレラの流行などの事件もあった。アメリカ船があ免里加狐(あめりかぎつね)や千年も具ら(せんねんもぐら)を日本に放ったせいで狐つきのような悪いことがおき、それと戦うのがニホンオオカミだと言われた。
東日本大震災地震津波により、原発放射能の被害にあっている福島県飯舘村の山津見神社にはオオカミがまつられている。ニホンオオカミが絶滅されたとされる明治38年、絵師にたのみ拝殿の天井にオオカミの絵を231枚も描かせた。震災で参拝者は激減したが、今でも熱心な信者は訪れる。本殿は坂の上にある。2011年3月、山の上で見えない2つの力が出会った。放射能とオオカミの力だ。オオカミを祀っていても放射能は降ってきたが、ここで止まったともいえる。
釜山神社のお炊き上げでは、1年間自然があんまり荒れないで無事おさまってくださいと願っている。昔の人は山でも皮でも木にも石にも全部神様が存在すると思っていた。昔も台風や地震などを自然災害はあったが今ほど荒れなかったという。日本人は今自然に対する畏れをなくしてしまっている。
奈良県東吉野市で殺されたオオカミが最後の1頭だと言われる。山から鹿を追ってきたオオカミはすでに弱っていて、川に落ちたところを撲殺されたという。人間が滅ぼした動物を人間の手で復活させようという者もいる。熊野の山中にはまだオオカミの血を多く残した野犬がいるので、そこからニホンオオカミを復活させようとした。野犬を捕まえるために7時間も鉄の檻をかついでのぼった。鶏肉を袋にいれ木に吊るし野犬を集めた。30年にわたり交配を繰り返した。姿、鳴き声、気性の荒さなどをチェックし、オオカミに近いものを戻りオオカミと名付けた。これはという個体も生まれたが病気がちで半年ほどで死んでしまい、剥製にした。額から鼻にかけておうとつがなく、耳の間にはたてがみのような毛がある。無骨な印象で飼い犬には見えないが、ニホンオオカミにも見えない。研究者も病気でなくなってしまったが、残った戻りオオカミをゆずり受けた人物もいたという。ゆずり受けた人物も5年前になくなったという。1匹だけ人にもらわれていったらしい。熊野山中に最後に戻りオオカミが飼われていた。山ではぐれてしまった戻りオオカミを保護した夫婦にもらわれていて、言い残されたことによると死んだあとに頭蓋骨をみるとオオカミかどうか分かると。こわがられているが、夫婦はおとなしいし犬だと言っている。
新しい目撃情報が届いた。2011年8月11月20日、奥秩父でオオカミにワオーンと吠えられたという。姿も八木の写真によく似ているという。八木はその山にのぼり赤外線カメラをとりつけに行った。この山にはオオカミの餌になる野生動物もたくさんいるはず。登山の途中で鹿にも出会った。出会おうと思うと気配がオオカミに伝わり出会えないという。虚をついて現れるという。八木は山に土葬してもらって、そこをオオカミに掘って食べてもらいたいらしい。自分を食べることで何日か何週間か命をつなぐことができると。目撃証言の場所につき、オオカミが通ったという場所にあわせてカメラを設置した。そこで八木はオオカミの遠吠えのマネをしておいた。
山ではたくさんの命が活動している。しかし、人間の目や耳は貧しすぎてそうした活動をほんの僅かしかとらえられない。あの日八木の見た獣はニホンオオカミだったかもしれない。しかし確かめるのはあの獣の命をとり頭蓋骨を見て初めて確定できる。つまり我々は生きている獣をニホンオオカミと呼ぶことはできない。たとえ今ここに生きているとしても。
釜山神社の今の宮司も78歳になり、1年前に妻をなくし、子供もいない。体の続く限りお炊き上げの務めを果たすつもりでいるという。あとどのくらいできるかわからないが、神様が認めてくれれば1度くらい会えるかもしれないという。


最後の渋谷のおおみそかの様子がうつったがなんかとても悲しかった。宮司がはぁはぁ言いながら険しい山をのぼって秘密の谷で祝詞をとなえていて、だれが継ぐのだろう。僕が継いでもいいなんて思いもするけれど、こういう覚悟というのはそんな軽いものじゃないのだろうなぁ。
自然の大切さとかは分からないわけじゃない。でもニホンオオカミとは別の話だと思ってる。日本人が自然を畏れなくなったから津波が起きたのか?因果関係なんて証明できないけれど。オオカミを絶滅させてしまったことは反省しないといけない、そこから自然のことももっと見ないといけない。でも、ちょっと違うように思った。思うところはたくさんあっていい番組だとは思うのだけど、ちょっとだけ僕とは違う。