タイムスクープハンター シーズン4・第4回『見せ物、カッパ珍騒動!」

珍獣・珍品・曲芸など好奇心をくすぐる出し物で江戸時代から人々を楽しませていた見世物小屋。本物かイカサマか、その奇妙な世界をのぞいてみるためにタイムワープした。


1899年(明治32年)3月26日、場所は神奈川。今回の取材対象は見世物小屋。戦国時代から始まる江戸時代に最盛期を迎え、文明開化の明治にはそのあり方を変えつつあった。時代が変わりゆく中で昔からのスタイルを守り続ける柄本兄弟に密着取材をした。
柄本兄弟は見世物の準備をすると大海鰻(オオアナゴ)と看板を立て、弟の七郎が呼び込みを始めた。道行く人は半信半疑でそこそこ人が集まり始めた。兄の順三郎も見世物小屋特有の口上でお客さんを煽っている。未知の生物かと思われたその正体は、布をはらうとそこには大きな穴に子供の人形、大穴子という語呂合わせのダジャレだった。お客さんも苦笑しながらも怒り出す人はいない。順三郎はこういうくだらない諧謔という笑いが必要だと語った。どこをまわっても客の入りはあんまりよくないとぼやいてもいた。3代目になる兄弟は江戸時代からのネタを使いまわしているらしい。
定番ネタとしては「大鼬」大きな板に血で、大板血。「怪物べなべな」鍋をひっくり返した逆さ言葉。「四角い体の三つ目」鼻緒をとって3つの穴が空いている下駄。くだらないだしものでも怒る客はいない。江戸時代にはからくりものや細工もの、動物ものが主流だった。そういう正統派以外にもダジャレものも多かった。嘘だと思ってもついつい入ってしまうのも楽しみだった。明治にはいるとダジャレものは時代おくれとなってきた。
弟の七郎はそろそろ新ネタを考えるべきだと言う。各地でパノラマ館など西洋からの新しい娯楽が入ってきたことで見世物小屋も変貌をする時がきている。その夜、兄弟は経営方針を話し合った。弟が新しいネタとして催眠術を提案した。明治中期には日本では催眠術ブームがきて、どこでも公演は盛況だった。さくらをやとってやるのは詐欺なので兄は反対した。明治にはそういう事件も多発したので見世物小屋での催眠術は禁止された。イカサマでもイカサマだといって商売するのがいいと兄はいった。兄の提案ではカッパ捕獲成功という見世物小屋の例をだしてきた。犬に亀の甲羅を背負わせ皿をかぶせ、樽の底をガラスで仕切りその犬を歩かせてカッパに見せているらしい。カッパからヒントを得た兄は斬新な案があるらしい。
兄弟は別の町の青柳という職員の家を訪れた。そこでは人魚のミイラを見せてくれた。タイムスクープ社が分析すると、頭部は猿、体は犬、下半身は鯉だった。江戸時代後期にはこういうミイラ作りの技術が進歩して海外にも輸出していたらしい。青柳もこのフェイクミイラ職人の1人だった。弟はそこでカッパのミイラかと問うと、兄は自信ありげに等身大のカッパのミイラだと言った。見世物小屋内部は薄暗く客もよく見ようと近づいていくる、そこでカッパの動きだしてびっくりさせる。動く仕掛けは弟が中に入るらしい。職人を巻き込んで動くカッパ作りが始まった。特殊メイクのように粘土・ニカワをつかい部品を5時間にもわたり弟につけていく。ただ1つの難点は1度つけると簡単にはずせないということだった。人に見せずに運ぶには大八車で運ぶしかなかった。
大八車でカッパとなった弟を運ぶ兄。池の近くで弟が急に暴れだした。用を足したいらしい。人目につかないように用を足していたが、池の向こう岸の釣り人に見つかりこっちに探しに来てしまった。急いで弟は大八車に隠れる。釣り人にカッパなんか見ていないと言い訳をしていて、なんとか追い払って大八車を見ると、斜面を滑り落ちていて弟の姿もなくなっていた。池を捜索していると、またカッパの目撃者が現れてしまった。本物のカッパと見間違え村の青年たちによる大掛かりなカッパ捜索が始まってしまった。
河原にきゅうりの罠がしかけられたりもして、夜も捜索が行われた。独自に兄も早朝まで探していた。陸にあがって森をさまよっているだろうと推測していた。そこに罠に何かがかかった音が聞こえてきた。罠をみるとカッパの紛争の弟がかかっていた。すぐに網を解き2人で逃げ出した。弟は空腹のせいできゅうりでつかまってしまった。また大八車に布をかぶせ弟を隠し、逃走に成功した。
と思ったが、運悪く村人に見つかってしまった。罠が破られていることときゅうりがなくなっていたことが判明した。なんと大八車からきゅうりが落ちてしまい、カッパ泥棒と追いかけられてしまった。逃げるが行き止まりで必死にカッパと兄は壁をよじ登って逃げた。山の斜面をのぼり線路に逃げ、なんとか村人をまいた。そして災難を乗り越えた。
見世物小屋ではカッパのミイラの興行が始まった。いつもよりたくさんの人々が小屋に入っていく。まずは生々しいミイラの姿で驚く村人たち、さらによく見ようと近づいたところでミイラが立ち上がって村人は楽しそうな悲鳴をあげながら逃げていく。珍しい出し物の噂を聞き、お客さんもどんどんやってきて好評だった。客の入りが悪くても仕事のことを語るときの兄順三郎の笑顔は良かった。好きなことをやり続けた2人は心から満足した。
その後、大正時代に見世物小屋は廃業した。しかし別の芝居小屋に雇われ、生涯仕事をまっとうした。